大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 昭和60年(オ)1427号 判決 1992年4月28日

上告人

洪坤圳

蘇鈴木

洪火灶

張長寅

黄木連

黄文保

楊来好

上告人

李簡治

辜許玉娥

蔡水源

鄧彭蘭英

鄧淑貞

鄧淑美

鄧俊明

鄧俊仁

鄧俊宏

右法定代理人親権者

鄧彭蘭英

黄鄧淑彩

鄧淑霞

鄧淑

全阿味

全正復

全阿益

全正興

右二四名訴訟代理人弁護士

秋本英男

山田伸男

庭山正一郎

錦織淳

羽柴駿

鈴木五十三

岩倉哲二

柳川昭二

被上告人

右代表者法務大臣

田原隆

右指定代理人

市川正巳

外一名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人秋元英男、同山田伸男、同庭山正一郎、同錦織淳、同羽柴駿、同鈴木五十三、同岩倉哲二、同柳川昭二の上告理由

第一点について

原審の適法に確定した事実関係の下においては、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

同第二点について

上告人らが主張するような戦争犠牲ないし戦争損害は、国の存亡に係わる非常事態の下では、国民の等しく受忍しなければならなかったところであって、これに対する補償は憲法の全く予想しないところというべきであり、右のような戦争犠牲ないし戦争損害に対しては単に政策的見地からの配慮が考えられるにすぎないものと解すべきことは、当裁判所の判例の趣旨に徴し明らかである(昭和四〇年(オ)第四一七号同四三年一一月二七日大法廷判決・民集二二巻一二号二八〇八頁参照)。したがって、憲法二九条三項等の規定を適用してその補償を求める上告人らの主張は、右規定の意義・性質等について判断するまでもなく、その前提を欠くに帰するというべきであって、所論の点に関する原審の判断は、結論において是認することができる。論旨は、採用することができない。

同第三点について

論旨は、昭和二七年四月三〇日に施行された戦傷病者戦没者遺族等援護法(同年法律第一二七号。以下「援護法」という。)により、軍人軍属等であった者又はこれらの者の遺族に対しては障害年金・遺族年金等が支給され、また、昭和二八年八月一日施行の恩給法の一部を改正する法律(同年法律第一五五号。以下「恩給法改正法」という。)により、旧軍人等又はこれらの者の遺族に対する恩給の支給が復活したところ、援護法附則二項は、戸籍法の適用を受けない者については、当分の間、この法律を適用しない旨を定め、また、恩給法九条一項三号は、日本国籍を失ったときは年金たる恩給を受ける権利は消滅するものと定めており(以下、これらを「本件国籍条項」という。)、台湾住民である軍人軍属に対して本件国籍条項の適用を除外していないことから、台湾住民である上告人らは援護法又は恩給法による給付を受けることができないこととされているが、これはもと日本国籍を有していた台湾住民である軍人軍属を不当に差別するもので憲法一四条に違反する、というのである。

そこで検討するのに、憲法一四条一項は法の下の平等を定めているが、右規定は合理的理由のない差別を禁止する趣旨のものであって、各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り、何ら右規定に違反するものでないことは、当裁判所の判例の趣旨とするところである(昭和三七年(あ)第九二七号同三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号五七九頁、同昭和三七年(オ)第一四七二号同三九年五月二七日大法廷判決・民集一八巻四号六七六頁等参照)。ところで、我が国は、昭和二七年四月二八日に発効した日本国との平和条約により、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄し(二条)、この地域に関し、日本国及びその国民に対する右地域の施政を行っている当局及び住民の請求権の処理は、日本国と右当局との間の特別取極の主題とするものとされ(四条)、また、我が国は、右条約の署名国でない国と、右条約に定めるところと同一の又は実質的に同一の条件で二国間の平和条約を締結することが予定された(二六条)。そして、我が国は、中華民国との間で日本国と中華民国との間の平和条約(以下「日華平和条約」という。)を締結し、同条約は昭和二七年八月五日に効力を生じたところ、同条約三条は、日本国及びその国民に対する中華民国の当局及び台湾住民の請求権の処理は、日本国政府と中華民国政府との間の特別取極の主題とする旨を定めている。また、台湾住民は、同条約により、日本の国籍を喪失したものと解される(最高裁昭和三三年(あ)第二一〇九号同三七年一二月五日大法廷判決・刑集一六巻一二号一六六一頁参照)。その間、昭和二七年四月三〇日に援護法が制定され、その附則二項は、戸籍法の適用を受けない者については、当分の間、援護法を適用しない旨を規定したが、その趣旨は、同法上、援護対象者は日本国籍を有する者に限定され、日本国籍の喪失をもって権利消滅事由と定められているところ、同法制定当時、台湾住民等の国籍の帰属が分明でなかったことから、これらの人々に同法の適用がないことを明らかにすることにあったものと解される。その後、昭和二八年八月一日施行の恩給法改正法により、旧軍人等及びこれらの者の遺族に対する恩給の支給が復活したが、その時点においては、台湾住民は日本の国籍を喪失していたから、恩給法九条一項三号の規定の趣旨に照らし、恩給の受給資格を有しないこととなったものである。以上の経緯に照らせば、台湾住民である軍人軍属が援護法及び恩給法の適用から除外されたのは、台湾住民の請求権の処理は日本国との平和条約及び日華平和条約により日本国政府と中華民国政府との特別取極の主題とされたことから、台湾住民である軍人軍属に対する補償問題もまた両国政府の外交交渉によって解決されることが予定されたことに基づくものと解されるのであり、そのことには十分な合理的根拠があるものというべきである。したがって、本件国籍条項により、日本の国籍を有する軍人軍属と台湾住民である軍人軍属との間に差別が生じているとしても、それは右のような根拠に基づくものである以上、本件国籍条項は、憲法一四条に関する前記大法廷判例の趣旨に徴して同条に違反するものとはいえない。ところで、日華平和条約に基づく特別取極については、その成立をみることなく右条約締結後二〇年近くを推移するうち、昭和四七年九月二九日、日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明が発せられ、日本国政府は中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認した結果、右特別取極についての協議が行われることは事実上不可能な状態にある。しかしながら、そのことのゆえに本件国籍条項が違憲となるべき理由はなく、右のような現実を考慮して、我が国が台湾住民である軍人軍属に対していかなる措置を講ずべきかは、立法政策に属する問題というべきである。ちなみに、現時点までに成立した台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律(昭和六二年法律第一〇五号)及び特定弔慰金等の支給の実施に関する法律(昭和六三年法律第三一号)によれば、我が国は、人道的精神に基づき、台湾住民である戦没者の遺族等に対し、戦没者等又は戦傷病者一人につき二〇〇万円の弔慰金又は見舞金を支給するものとされているところである。

所論の点に関する原審の判断は、以上の趣旨をいうものとして是認することができる。原判決に所論憲法一四条の解釈適用の誤りはなく、論旨は採用することができない。

同第四点について

論旨は、原判決の結論に影響のない説示部分を論難するものにすぎず、採用することができない。

同第五点について

前記説示のとおり、本件国籍条項を違憲ということはできないから、その違憲であることを前提として、違憲状態を解消すべき立法の不作為の違憲確認を求める上告人らの予備的請求に係る訴えは、その適否いかんにかかわらず、理由のないことが明らかである。そして、仮に原判決中右訴えを不適法として却下した部分が違法であるとしても、右却下部分を取り消して右請求を棄却することは不利益変更禁止の原則に触れるから、右却下部分についての上告はこれを棄却するほかない。したがって、論旨は、原判決の結論に影響を及ぼさない部分の違法をいうに帰し、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、上告理由第二点及び第三点並びに第五点についての裁判官園部逸夫の意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官園部逸夫の意見は、次のとおりである。

上告理由第二点及び第三点について

一般に、戦没又は戦傷病に関する補償、救済を自国の国民に対してのみ行うという立法は、同時に他の立法又は条約をもって、同様の境遇にある外国人に同種の補償、救済を付与するのであれば、不平等な差別とはいえないこと、そして、日本国としては、当時の中華民国政府の意向を尊重して台湾住民に対する処遇を定めるのが順当であるということから、台湾住民関係については別途処理する道を残して、当面日本国籍を有する者のみを対象とする旨のいわゆる国籍条項を戦傷病者戦没者遺族等援護法に組み入れたものと見られること(同法附則二項)、そして、ほぼ同じころ日本国と中華民国との間の平和条約(日華平和条約)三条において、上告人らを含む台湾住民の日本国に対する請求権の処理を、「日本国政府と中華民国政府との間の特別取極の主題とする。」と定めたのであるから、この時期において国籍条項が、理由のない不平等をもたらす規定であったとはいいがたいこと、さらに、恩給法についても、右援護法と同趣旨の国籍条項が規定されているが(恩給法九条一項三号)、右条項についても、同様であることは、原判決の説示するとおりである。ところが、日本国と中華人民共和国との間の国交正常化に伴い、日華平和条約がその意義を失ったとされた結果、前記取極についての協議がもはや行われることがなくなり、日本国政府と中華人民共和国政府との間でも、この問題を協議する機会が作られていることが全く伝えられていないことも、原判決の説示するとおりである。

このように、前記の特別取極が締結できないことととなったのは、国際的な諸事情によるものでやむを得ないことであるとはいえ、右の取極の締結を前提として前記国籍条項が設けられたこともまた否定することのできない事実である以上、右取極についての協議ができないこととなった時点から、右国籍条項適用の結果生じている状態が法の下の平等の原則に反する差別となっていることは、率直に認めなければならない。しかしながら、今日、日本国は、中華人民共和国と正式の外交関係を保持しており、戦争賠償にかかわる事項は、国政の基本に触れる問題である(日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明五項参照)。したがって、私は、台湾住民である日本の旧軍人又は旧軍属であった者に係る援護又は恩給給付に関する上告人らの請求権の性質及び内容並びに右請求権の具体的な根拠となるべき立法の必要性及び上告人らを含む台湾住民の戦争被害の救済手段等について、具体的な法的判断を示すことはできないと考える。

右の見地から、私は、上告人らの憲法二九条三項、一三条に基づく請求及び一四条に基づく請求に関する原審の判断を、その結論において是認することができると解するのである。

なお、原判決は、現実には、上告人らがほぼ同様の境遇にある日本人と比較して著しい不利益を受けていることは明らかであり、しかも戦没戦傷の日から既に四〇年以上の歳月が経過しているのであるから、予測される外交上、財政上、法技術上の困難を超克して、早急にこの不利益を払拭し、国際信用を高めるよう尽力することが、国政関与者に対する期待であることを付言している。原判決言渡し後、関係者の努力により、台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律(昭和六二年法律第一〇五号)及び特定弔慰金等の支給の実施に関する法律(昭和六三年法律第三一号)が、人道上の精神に基づき、制定されている。右二法により実施された支給によっても、上告人らの請求を満足させるものでないとする心情は、十分理解できるところであるが、右に述べた理由により、この種の問題の根本的な解決については、国政関与者の一層の努力に待つほかないことをこの機会にあらためて付言して置きたい。

同第五点について

私は本件国籍条項適用の結果生じている状態が法の下の平等の原則に反する差別となっていることを認める者であるが、そのような差別を解消すべき立法の必要性について、何らかの具体的な法的判断を示すことはできないと考える。その理由は、上告理由第二点及び第三点についての私の意見において述べたとおりであって、右の見地から、私は、上告人らの予備的請求に係る訴えは、その適否いかんにかかわらず、理由がないと解するのである。なお、原判決中右訴えを不適法として却下した部分及び論旨についての私の判断は、上告理由第五点についての法廷意見と同意見である。

(裁判長裁判官佐藤庄市郎 裁判官坂上壽夫 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄)

上告代理人秋本英男、同山田伸男、同庭山正一郎、同錦織淳、同羽柴駿、同鈴木五十三、同岩倉哲二、同柳川昭二の上告理由

第一点、原判決は、上告人らの「契約その他の法律関係にもとづく請求権」の主張(訴状請求原因第四項の一)を一審判決と同様の理由により棄却したが、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈・適用の誤りがある。

一、全永福を除く本件戦死傷者らは、いずれも当時軍属として被上告人との間の雇傭契約にもとづきその勤務に従事していた者であるから、被上告人は使用者としてこれら軍属がその職務を安全に遂行するよう生命・身体を危険から保護すべき安全配慮義務を負っていたのである。

軍属はその特殊な性格から一般の被雇用者と異なり戦闘地域で勤務する危険を冒さざるを得ないこともあり、そのような場合には右安全配慮義務を被上告人として必ずしも尽くせないことも予想されるのであるが、だからといって右の場合に被上告人において右義務を一切免除され何らの代替義務すら負わないと解するのは、軍属と被上告人とがあくまで雇傭契約としての法的関係に立つことに照らし許されないものと言わねばならない。

従って、右の場合には被上告人は、雇傭契約上、安全配慮義務の代替代償として、軍属の蒙ることがあるべき戦死傷による損失を填補する義務を負うものと解するべきである。

二、亡全永福は、陸軍特別志願兵として陸軍に志願し兵役に従事中戦傷したものである。軍人として戦争に従事する以上生命身体に対する危険は当然予測されることであるから、軍人が戦死傷した場合国はその損害を填補すべき義務があり、日本国は右義務の履行として恩給法を制定していた。亡全永福は、戦死傷した場合には恩給法による補填を受けることを前提として志願して兵役に従事し、国とかかる内容の法律関係に入ったものである。しかるに、戦後国は敗戦の結果台湾に対する統治権を失ったことから、台湾人元軍人に対する恩給法の適用を排除して現在に至っている。

しかしながら、台湾人元軍人は、日本が敗戦の結果、台湾を失ったことや台湾人が日本人でなくなったことに何等責任はないから、戦争当時有していた補償を受け得る地位を喪失すべき理由がない。従って、国は、日本国籍喪失を理由に台湾元軍人に対する恩給法の適用を排除しようとするならば同法に代わる補償措置を講ずべきである。

しかるに戦後、日本人に対しては軍人恩給を復活して補償しながら、台湾人に対しては日華条約すら失効しいまだに何等の措置も採られていないのであるから、台湾人元軍人は戦争当時の法律関係にもとづき補償を受け得る地位を現在なお継続して有していると解するほかない。

よって、被上告人は、軍人であった台湾人に対し、少なくとも現在恩給法にもとづいて日本人に対して与えている補償と同等の補償をなすべき義務がある。

三、しかるに原判決は、一審判決と殆ど同じ理由により、軍属に対する右安全配慮義務およびその代替代償としての損失補填義務を否定し、軍人に対する補償義務を否定したものであるが、右に述べたとおりこれは当時の軍属、軍人の置かれていた法的地位に関する法令の解釈・適用を誤ったものであり、上告人らの請求は認容されるべきものであるから、原判決は取消されるべきである。

第二点、原判決は、上告人らの憲法二九条三項、一三条にもとづく「国家補償請求権」(国の行為或いは活動により特別の犠牲となり損害を被った者に対し、国がその損失を補償すべき義務)による請求を認めなかったが、憲法の解釈・適用の誤りがある。

一、原判決が、上告人らの国家補償請求権の主張を排斥した理由の要旨は次のとおりである(三四丁〜三五丁)。

①「憲法施行前に生じた原因に基づく損失に対して憲法二九条三項等が適用されると解しうるのは、憲法に遡及効を定めた規定がある場合か、旧憲法自体に損失補償の規定があって、条理上それが憲法に引き継がれていると解することができる場合であることを要し、単に損失が現存することのみでは補償の要件をみたすことにはならないといわなければならない。」

②「のみならず、本件のようないわゆる戦争被害に対して国が行う補償、救済は戦争の放棄を定めている憲法の全く予想しないところといえるのであって(最高裁昭和四三年一一月二七日大法廷判決、民集二二巻一二号二八〇八頁参照)、国がこのような被害についていかなる補償、救済措置を講ずるかは、もっぱら国の政策に基づく立法と法の施行に委ねられた事項である」。

二、しかし、まず判示の右①については、なるほど上告人らが死傷を被った時期が憲法の施行以前であること自体は明らかな事実であるが、上告人らの蒙った生命・身体の喪失という損失は個人財産の収用の如き一過性のものではなく、例えば右手切断、左眼失明の損失を被った上告人鄧盛の供述にも明らかなとおりその財産的損害、精神的苦痛は日々継続し、場合によっては増大することすらあるのである。

原判決は憲法二九条による補償の対象となるべき損失には憲法施行前に生じた原因に基づく損失は含まないと解し、結果的に補償の対象を死傷それ自体のみとして把握し、「単に損失が現存するのみでは補償の要件をみたすことにならない」との結論を下しているが、これは現実の損失の実体に照らして余りに技術的・形式的な立場であって正当なものではない。

また、このように補償の対象を死傷それ自体のみとする原判決の把握は、現行の援護法による障害年金の支給方式に照らしても誤りであることが明らかである。

即ち、現行の援護法(戦傷病者戦没者遺族等援護法)は軍人軍属が公務上負傷して不具廃疾となった場合「国家補償の精神に基づき」これを補償することとしているが、その方法としては原則として年金方式をとることになっており(同法第七条以下)、負傷(もしくは支給決定)の時点で補償総額を算定した上でこれを一括もしくは分割して支給するというような方式は採られていないのである。更に、この障害年金を受ける権利は、「厚生大臣によって……不具廃疾の状態がなくなったものと認定されたとき」は消滅するものとされている。(同法第一四条一項三号)

右のような障害年金方式がとられていることは、同法による補償の対象が過去の戦死傷それ自体ではなく、日々発生継続する損失そのものであると考えて初めて理解しうるものである。

なお、言うまでもなく援護法は憲法施行後に立法されたものではあるが、同法が憲法上の国家補償を具現化したものであることは同法第一条の明示するところである。そして、この援護法が補償しようとしているのは、正に憲法施行前の国家行為とそれに基づく憲法施行前に発生した戦死傷なのである(同法第一条「国家補償の精神に基き、軍人軍属等であった者又はこれらの者の遺族を援護する」)。これは、憲法上の国家補償が当然に憲法施行前に及ぶべきことを立法者自ら認めたことにほかならないのである。

よって、判示の右①は憲法の解釈・適用を誤ったものであり、上告人らの如く「損失が現存する」者に対しては憲法二九条三項等の適用があると解すべきなのである。

三、次に判示の右②については、本件は単なる一般の戦争被害ではなく、国と一定の身分関係にあった者が、その関係の下で他の一般国民の被る戦争被害を超えて、特別の犠牲を強いられたことが問題とされているのである。

この点につき、いわゆる予防接種ワクチン禍事件一審判決(東京地裁昭和五九年五月一八日、判例時報一一一八号二八頁以下)は、

「このようにして、一般社会を伝染病から集団的に防衛するためになされた予防接種により、その生命、身体について特別の犠牲を強いられた各被害児及びその両親に対し、右犠牲による損失を、これら個人の者のみの負担に帰せしめてしまうことは、生命・自由・幸福追求権を規定する憲法一三条、法の下の平等と差別の禁止を規定する同第一四条一項、更には、国民の生存権を保障する旨を規定する同第二五条のそれらの法の精神に反するということができ、そのような事態を等閑視することは到底許されるものではなく、かかる損失は、本件各被害児らの特別犠牲によって、一方では利益を受けている国民全体、即ちそれを代表する被告国が負担すべきものと解するのが相当である。そのことは、価値の根源を個人に見出し、国民すべての自由・生命・幸福追求を大切にしようとする憲法の基本原理に合致するというべきである。

更に、憲法二九条三項は「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる。」と規定しており、公共のためにする財産権の制限が社会生活上一般に受忍すべきものとされる限度を超え、特定の個人に対し、特別の財産上の犠牲を強いるものである場合には、これについて損失補償を認めた規定がなくても、直接憲法二九条三項を根拠として補償請求をすることができないわけではないと解される(昭和四三年一一月二七日最高裁大法廷判決・刑集二二巻一二号一四〇二頁、昭和五〇年三月一三日最高裁第一小法廷判決・裁判集民一一四号三四三頁、同年四月一一日最高裁第二小法廷判決・裁判集民一一四号五一九頁参照)。

そして、右憲法一三条後段、二五条一項の規定の趣旨に照らせば、財産上特別の犠牲が課せられた場合と生命、身体に対し特別の犠牲が課せられた場合とで、後者の方を不利に扱うことが許されるとする合理的理由は全くない。

従って、生命、身体に対して特別の犠牲が課せられた場合においても、右憲法二九条三項を類推適用し、かかる犠牲を強いられた者は、直接憲法二九条三項に基づき、被告国に対し正当な補償を請求するのが相当である。」

と判示している。

本件戦死傷者らの蒙った犠牲は、国との一定の身分関係により戦闘地域において軍務に従事させられた結果であり、一般の戦争被害を超えた「特別の犠牲」であり、正しく「右犠牲による損失を、これら個人の者のみの負担に帰せしめてしまうことは、憲法の精神に反する」ことである。

しかも本件戦死傷者らの蒙った損失の甚大さは、ワクチン禍による死亡、あるいは後遺症をしのぐ悲惨なものだったことは明らかであり、補償の必要性はより大かつ緊急なのである。

なお、原判決の援用する最高裁判決は、サンフランシスコ平和条約は我が国の主権が回復されるかどうかという特殊状態下で締結されたものであるからその内容は現行憲法の枠外にある旨を指摘したものであって、本件とは事案を異にするものであるから、これをもって請求を排斥する理由とするのは誤りである。

また、現憲法が戦争の放棄を定めているのは、第二次大戦の惨事を将来二度と繰り返さない為の規定であって、その大戦に関する戦後処理を放置して良いとするものではない。むしろ、本件のごとき戦後処理問題を解決してこそ、真に次の戦争を防止することが出来るというべきである。

以上のとおり、判示の②についても憲法の解釈・適用を誤ったものである。

第三点、原判決は、事実として不利益・差別状態にあることを認めながらこれを法の下の平等違反と解することを「躊躇」したが、憲法一四条の解釈適用を誤ったものである。

一、原判決は、

「一般的にいえば、戦死傷による損害の補償、救済を自国民に対してのみ行うという立法は、同時に他の立法又は条約をもって、同様の境遇にある外国人に同種(同等であることは要求されないと解する。)の補償、救済を付与するのであれば、不平等な差別ではない。むしろ、外国人の属する各国の政府の意向を省みずに、自国民と均一の処遇をすることが、時として各国との円滑な国交を損なうことがあるであろう。控訴人らに関係のある台湾についていえば、台湾はわが国の領土から分離して当時の中華民国領土に復帰したのであるから、わが国の立場として、同国政府の意向を尊重して台湾人に対する処遇を定めるのが順当であり、それ故に、台湾人関係は別途処理する道をのこして、当面日本国籍を有する者のみを対象とする旨の国籍条項を援護法に組入れたものとみられる。そしてほぼ同じ頃日華平和条約において、控訴人らを含む台湾住民のわが国に対する請求権の処理を、両国政府間の特別取極の主題とすることを定めたのであるから、この時期において国籍条項が、理由のない不平等をもたらす規定であったとはいいがたい。」

「ところが、いわゆる日中国交正常化に伴ない、日華平和条約はその意義を失ったとされた結果、上記の取極についての協議はもはや行われることがなくなり、また、控訴人らは台湾の居住者であるため、望むと否とにかかわりなく、いわゆる国交正常化の後の中華人民共和国政府の援助はうけられない立場にあると推測され、現に同国政府とわが国との間で、控訴人らを含む台湾人の戦争被害の救済手段を協議する機会が作られていることは、全く伝えられていない。」

「このような複雑な国際事情が背景にあることを思えば、被控訴人が控訴人らに対する補償、救済の遅れについて道義上の責任を負うべきことは当然としても、現状即ち国籍条項適用の結果生じている状態が法の下の平等に反する理由のない差別と解することは、やはり躊躇せざるをえないと考える。」

と判示している。

二、原判決の右判示の意味するところは必ずしも明確ではない。歴史的経過を叙述したものとみれば概ねそのとおりであるとも云えようが、法的判断の前提たる事実関係として摘示しているとすれば、どの事実を要点としているか明らかでなく、「複雑な国際事情が背景にある」との指摘も、法律的事実として何を意味しているのか明らかでないのである。

また、「現状すなわち国籍条項適用の結果生じる状態が法の下の平等に反する理由のない差別と解することは、やはり躊躇せざるを得ない」との結論部分も、その趣旨が明らかでない。「躊躇」とは、国語辞典によると、「決心がつかず、ぐずぐずすること。ためらうこと。」とあり、文字どおり読めば、この項では、憲法違反の判断を留保していることになろう。しかしながら、違憲であるとの判断を留保していることは、その結果としては現状を容認していることになり、結果的に、憲法に違反しないと判断していると理解する外ない。

三、原判決の意味するところが、当該外国人の属する国の政府の意思を無視し、その意向に反して戦死傷による損害の補償救済をすることの実際上の困難性を指摘するという限度では間違いとは云えないが、当該外国人の属する国の政府を交渉相手とし当該政府との間で戦死傷による補償救済の問題を解決しなければならない、ことを意味するとすれば誤りである。

何故ならば、戦死傷による補償は、当該個人(上告人ら)と戦死傷当時の所属国(日本)との関係(軍人軍属関係)にもとづく、上告人らの日本に対する個人の請求権の問題であり、上告人らの現在の所属国には本来関係のない権利であるからである。換言すれば、国家間の戦争賠償の問題ではないということである。戦争により敵国にあたえた損害の填補賠償は、国家間で解決すべきものであるが、本件の補償は、そのような戦争損害ではなく、かかる賠償問題とは性質を異にするということである。

このような理解を前提にすれば、日華平和条約三条で本件補償問題を「特別取極の主題」としたのは、所属国中華民国を介して補償を実施することが実務上便宜であるからに外ならなかった。なぜなら現に台湾に居住する多数の者を対象とするからである。しかし、右はあくまで便宜の問題にとどまるのであり、そうしなければならない法的理由はないのである。

そもそも、国際法上、個人の請求権を国家が個人の意思と関係なく処分することは認められていない。このことは、国際法の理論として一般的に認められているところであり、例えば、サンフランシスコ平和条約一四条(a)項2(1)で、日本が連合国に対し、当時連合国の管轄下にあった日本国民の財産処分を承認したことについても、我が国が「日本国民の所有に属する在外財産を戦争賠償に充当する処分をした」ものではなく、「いわゆる異議権ないし外交保護権を行使しない」ことを約束したにすぎないと解釈されている(最高裁昭四三・一一・二七大法廷判決)。

そうだとすれば、日中国交正常化による日華平和条約の失効は、本件補償請求権との関係では、国家間で解決すべく「特別取極の主題」に掲げられて個人の権利行使が制約されていた状態が解消されたものと理解すべきである。すなわち、上告人ら個人の日本に対する請求権の問題として、上告人らと日本との間で解決するのに障害がなくなった状態ということである。

日本政府も同じ見解である。昭和五〇年二月二一日衆議院外務委員会において、伊達政府委員は、永末英一議員の質問に対し、元日本人であった台湾人の請求権は、「日華平和条約が終了したことによって何らの影響をうけるものではなく、請求権は請求権として残る。」台湾人の私的な請求権の問題は、外交問題や一般国際法上、国際私法上の問題ではなく、「すべて日本の国内法によって解決されるべき問題である。」と明解に答弁している(同議事録・<書証番号略>)。

台湾政府も右と同様の見解に立って、日中国交正常化のとき、沈昌煥外交部長は、「日華条約失効で政府間の話し合いはできなくなった。台湾と澎湖島の同胞は直接日本政府に対して補償を要求する権利がある。」と言明している(昭和五五年一〇月二八日第三回議員懇談会における外務省の説明、<書証番号略>)。

結局、政府間の協議を強調する原判決の国際関係の理解は、国際関係にかかわる問題はすべて国家のみがその主体であり当事者であるとする古典的理論を前提にし、なおかつ、本件上告人らの請求権の性格を誤解したものであり、誤りである(衛藤・渡辺他「国際関係論」三四頁以下・東大出版会参照)。

四、ところで、原判決は、上告人らが、「現実には、同様の境遇にある日本人と比較して著しく不利益をうけていることは明らかである」として、事実として差別状態にあることは認めている。そして、原判決は、「複雑な国際事情が背景にある」ことを理由に、この差別状態を法的に憲法一四条違反と判断することを「躊躇」した。

しかしながら、前述したところから明らかなとおり、法理論的には、日本が直接該当者に補償をなすことが可能であり、その障害はない。従って、「国際事情」の故をもって、事実として明白に認められる不利益・差別状態が違憲ではないというためには、補償を実施することが国際関係・外交関係から不可能であるという事情がなければならないが、かかる事情はない。

上告人ら該当者は台湾に居住するので、直接には台湾政府との関係を配慮する必要があるが、台湾政府は、日本が本件補償を行うことを希望し、再三日本に要望している。関係事実を略記する。

昭和五七年三月一六日

議員懇談会と台湾の立法委員(国会議員)が会談し、台湾側は全面的協力を約し、解決に努力する旨の「合意事項」を採択。(<書証番号略>)

同年八月七日

亜東関係協会(台湾側の日本における事実上の出先機関)が交流協会(日本側の台湾における事実上の出先機関)に、日本が支給する全額をその金額どおり当事者に支払うとの「文書」を提出。(<書証番号略>)

昭和五八年三月一五日

台湾政府は日本政府に対し、本件補償実施のため特別立法措置を講じるよう要請。(<書証番号略>)

昭和五九年四月二三日

台湾立法委員一〇名が来日し、自民党をはじめとする各政党に対し、補償立法の制定を要望。(<書証番号略>)

次に、中国との関係では、すでに昭和五五年の時点で、外務省は、中国との外交上の関係での障害はないとの見解を表明している(昭和五五年一〇月二八日第三回議員懇談会における外務省の説明、<書証番号略>)。また、昭和六〇年三月八日衆議院予算委員会第一分科会においても、浅井中国課長が、支給方法等について外交的配慮は要るが、補償自体には反対はないと了解している旨答弁しており(同議事録・<書証番号略>)、中国との関係での基本的な問題はない。

なお、仮に、原判決の「躊躇」の意味内容に、本件は国際問題・外交問題に関係し政治的問題であるから裁判所が判断するのに適しないということを含むとすれば、それは誤りである。原判決を右のように理解するとすれば、それはいわゆる統治行為論の問題であるが、いわゆる統治行為論については、その属性とされる「政治性」に明確さを欠き、その捉え方如何によっては重大な憲法問題はすべて統治行為になりかねないという批判がある(佐藤幸治・現代法律学講座5「憲法」二四九頁・青林書院新社)。そして、仮に「統治行為」を認めるとしても、重要な基本的人権の制限にかかわる場合は統治行為論を適用すべきではないとされている(同著二五一頁)。

すでに明らかにしたとおり、本件は上告人ら個人の私的請求権の問題であり、まさしく憲法上の基本的人権に関するものであるから、その司法審査は可能であり、これを回避すべき理由はない。

五、上告人らが現在居住する台湾と日本との間に正式の国交がないことは本件補償の障害ではない。

被上告人国は本件控訴審において、「日台間には残置財産の問題を含め全般的請求権問題が未解決であること、台湾以外の分離地域との衡平およびこれへの波及、我が国の財政事情等を挙げて、援護法、恩給法の国籍条項に合理性がある」と主張したが、原判決は、「台湾における残置財産の問題は一般の戦争被害の問題であって、本件のような国の使用者としての立場からの国家補償とは別異に考えるべきことであり、その他の事情も控訴人らに対し全く補償しないことを合理化すべき事由に該らない。」と判示し、国の主張を全て退けた。従って、おそらく、「台湾と国交がない」ということが国の残された唯一の弁解であろう。

しかしながら、かかる弁解も成り立たない。まず、本件補償問題を国家間の取決め(条約)で解決しなければならないことを前提としているとすれば、かかる前提が誤りであることはすでに明らかにしたとおりである。

なお、現在台湾と国交がないという事態は、日本が中国との国交を回復した結果であることを忘れてはならない。

次に、現に居住国の台湾政府が、日本が該当者に補償金を支給する特別立法を制定することを希望していることは、前項で明らかにしたとおりであり、要するに、台湾政府自身、日本政府が日本の国内法で直接該当者を補償救済することを望んでいるのである。

詰まるところ、台湾との「国交」の問題は、該当者の確認や、補償金の支給等の事務作業の問題に帰着する。該当者の確認作業の点では、すでに台湾側と厚生省との間で確認ずみである。支給方法については、赤十字を経由する等の外交的配慮を考慮すれば足りる。

日本と台湾との間に国交がないのは、「正式の国交」がないだけで、事実上の交流には何等支障がない関係にあることは公知のところである。現実に、貿易、出入国等、「事実としての国交」には内等支障はなく、補償を実施することの障害はない。

六、上告人らは、原審において、国際人権規約A二条二項、同第九条、同B規約二六条の存在および条約遵守義務を定めた憲法第九八条の存在を指摘し、国籍だけを理由に上告人らに対して何らの補償をしない状態が右人権規約に違反していること、及び少なくとも憲法第一四条の解釈にあたっては右人権規約に違反しないよう解釈すべきことを主張した。

すなわち、国際人権規約A規約第九条は「この規約の締結国は、社会保険その他の社会保障についてのすべての者の権利を認める」と規定し、同第二条二項は「この規約の締結国は、この規約に規定する権利が人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位によるいかなる差別もなしに行使されることを保障することを約束する」と規定し、国際人権規約B規約二六条は、「すべての者は、法律の前には平等であり、いかなる差別もなしに法律による平等の保障を受ける権利を有する。このため、法律は、あらゆる差別を禁止し、及び人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等のいかなる理由による差別に対しても平等のかつ効果的な保障をすべての者に保障する。」と規定しているから、国籍を理由として上告人らに補償していない状態は明らかに右人権規約に違反している。

一方条約遵守義務を定めた憲法第九八条が存在するから、少なくとも憲法第一四条の解釈にあたって、いやしくも人権規約違反の結果にならないよう解釈する義務があり、もし憲法一四条の解釈を誤って右人権規約違反を是認する結果になるときは、結局そのような解釈は憲法九八条にも違反することになるのである。

原判決は、国際人権規約に関する上告人らの主張に対して直接の判断を避けているが、原審の右態度が国際人権規約の意義を軽んじている結果であれば甚だ遺憾である。B規約と前後して採択された「市民的及び政治的権利に関する国際規約の選択議定書」(以後単に選択議定書という)によれば、B規約違反による被害者個人(但し締結国の領域内にあり、かつ、その管轄下にある者)がB規約二八条以下に基づき設置されている人権委員会へ通報してその審議を通じて権利侵害に対する救済をもとめることができる。日本が右選択議定書を批准するのは時間の問題であるし、日本国内には上告人らと同様な地位にいる者が多数存在しているから、上告審において尚国籍による差別が許容されたならば、本問題の解決は国連に移行されることになるのは確実である。

また、国連経済社会理事会決議一五〇三によって設定された「人権及び基本的自由の侵害に関する通報の処理手続」に従い、継続一貫している大規模大侵害であって国内救済手続を尽くしている人権侵害事案に関して、個人が人権委員会に通報することによって、問題が国連で審議される機会が保障されているから、二〇万人以上におよぶ台湾人元日本軍人・軍属に対する戦争補償に関して、この四〇年間一貫して差別して取扱ってきた人権侵犯事案が上告審でも救済されなかったときは、上告人らは当然に右一五〇三手続による救済を求めることになろう。

このように、国際人権規約に規定された基本的人権は、単なる宣言的効果に止まらず、国際的に実効性のある手続に裏付けされている。本件差別事案が上告審で憲法一四条違反でないとされた場合には当然に国連において審議されることになるが、いやしくも人権委員会の委員国である我が国において、国際人権規約違反の事実が最高裁判所で容認されるなどという国際的に不明を恥じるような事態にはならないよう憲法一四条の解釈をなすべきである。

原判決は、憲法一四条違反の有無の判断の前提となる事実評価については全て上告人らの主張を容認しながら、「複雑な国際事情」との理由の下に憲法違反の判断を回避したが、その理由のないことは前述したとおりであり、このことは国際人権規約の各条項を正当に解釈すればさらに明らかになっているといえる。

七、以上明らかにしたとおり、憲法一四条に関する原判決の判断は誤りであり、上告人らの蒙っている不利益・差別状態は合理的な理由がなく、憲法一四条に違反する。

第四点、原判決は、平等権侵害が肯定されるとしても給付請求を認める方法でその不平等を是正することはできない旨判示したが、憲法一四条の解釈適用を誤ったものである。

一、原判決は、

「日本国籍を有しない元日本軍人軍属にかかる援護又は恩給給付については、受給の範囲、支給金額、支給時期、支給方法等は、国会および政府によって多くの資料を基礎に決定されるべき事項であり、その手続を省略してただちに憲法第一四条に基づく具体的請求権を行使しうると解す余地はない。けだし、事実審裁判所がかぎられた証拠調の結果から上記各要件を決定することは、裁判所の職責、機能の点から妥当性を欠くことが明白であるからである。」

と判示し、上告人らの憲法一四条に基づく給付請求を排斥した。

二、しかしながら、平等原則が、内閣、国会の不作為により侵害されている場合(原判決が判示するとおり「控訴人らは同様の境遇にある日本人と比較して著しい不利益を受けていることは明らかであり、しかも戦死傷の日からすでに四〇年以上の歳月が経過している」)、裁判所は立法者に裁量の余地がないほど一義的に立法内容が決まるときは、平等違反の状態を除去するため給付判決を下すことが可能と解すべきである。

憲法一四条違反に対する救済として、場合によっては違憲確認にとどまらず給付判決も可能であることを唱えたのは阿部照哉教授(「平等原則の適用に関する若干の考察」法学論叢第九四巻三・四号四一頁以下)であるが、この理論は本件第一審判決を契機として賛同者を得ており(戸波江二・本件第一審判決判例評釈・判例時報一〇九一号一八〇頁)、西ドイツの学説・判例においては、平等違反の事件を裁判で救済する場合の理論として既に一般的に承認されている。

けだし、法令のレベルで救済手段に関する法規規範が欠けている場合、裁判所が、合理的な範囲で救済手段を法解釈によって補充することは、司法権の役割を逸脱したものとはいえず、むしろ権利の救済を任務とする司法にとってその責務であるというべきである(香城敏磨・ジュリスト六三八号二一〇頁以下、佐藤幸治・法学教室第五六号六一頁以下、西埜章・ジュリスト八二〇号三八頁参照)。

本件の著しい差別・不利益を是正して上告人らを救済する為には、給付判決がもっとも望ましいことは言うまでもないところであり、右の如く理論的にもその裏付けがある。

三、原判決は、先述したとおり、受給の範囲、支給金額、支給時期、支給方法につき国会および政府の決定に委ねるべき旨判示するが、少なくとも本件上告人らに関する限り、正に立法内容は一義的に確定していると言わなければならない。

すなわち、受給の範囲については、少なくとも本件上告人らが援護法または恩給給付の対象となることは各自の事実経過からして明らかであり、また支給金額については、本件上告人らと同様の境遇にある日本人元軍属に対しては、昭和二七年度から昭和六〇年度まで、遺族年金は一人あたり総額金一三、四四二、二七八円を、障害年金(第四項症)は、一人当たり総額金二三、一五九、九一七円をそれぞれ支給してるところから、原判決のいう「同種」の補償を前提とする限り如何なる計算方法をとっても、条理上すくなくとも本件上告人らについては、一人当たり金五〇〇万円を下るとは到底考えられない。

また、原判決が判示するとおり、我が国の財政事情等は、上告人らに補償しないことを合理化する理由にあたらず、他に上告人らに対する支払いを留保すべき事情は存在しないから、直ちに補償の支給をなすべきであるという意味で、支給時期は一義的に確定しており、また、支給方法については、直接上告人らに支払えばよい。

従って、上告人らに関する限り、受給の範囲、支給金額、支給時期、支給方法等はいずれも内容が確定しており、立法者に裁量の余地なく一義的に定まっていると言わねばならず、本訴請求に応じて金五〇〇万円の給付判決をなすことは可能と解すべきである。

以上のとおり、原判決は憲法一四条の解釈適用を誤ったものである。

第五点 原判決は、上告人らが控訴審において追加した予備的新訴を、訴訟要件を欠くとの理由で却下したが、これは判決に影響を及ぼすことが明らかなる法令違背であり、かつ憲法一四条に違反する。

一、原判決は、

「本件予備的新訴は、国会の右のような法的性質を有する立法行為につき、その不作為の違法違憲を求める訴訟であるが、控訴人らの今次の戦争による戦傷者及び戦死者の遺族に対する補償問題に関し、単に国会が右補償を行うか否かについて、立法権限を行使しないことの違法違憲確認を求めるものでなく、国会が控訴人ら日本国籍を有しない者について日本人と同等の補償を行うことを内容とする法律を制定しないことの違法違憲の確認を求めるものである。国会の右立法の不作為を違法違憲というためには、国会に当該立法をなすべき作為義務があることを当然の前提とするから、右訴訟は、実質においても国会の右のような立法義務があることの確認を求めるものにほかならず、講学上の無名抗告訴訟の一類型である義務確認訴訟に属するものと解される。」

と判示した。

しかし、義務確認訴訟の場合その請求の趣旨は、「……することの(又はさせる)義務が存在することの確認を求める。」という内容のものとなるところ、上告人らは、本件予備的新訴においては、直接的に右立法義務の存在することの確認を申し立てているものではない。

すなわち、上告人らの予備的請求の趣旨は各戦傷者が戦死しあるいは各戦死者が戦死したことにより被った損失について、被上告人が日本人に対すると同等の補償をなすべき補償立法を制定しないことは違憲・違法であることの確認を求めるというものであるから、それは「補償立法を制定しないこと」、換言すれば過去の消極的立法判断に対する司法審査を求めているのであって、原判決の判示するような「国会に当該立法義務があることの確認」を直接に求めているものでないことは明らかである。

けだし、行政訴訟において行政庁の作為義務(法的義務)が問題となる場合の訴訟類型としては、大別して、抗告訴訟の一つとしての不作為の違法確認訴訟及び義務づけ訴訟・義務確認訴訟が認められているが、両者は許容される要件を異にした別個の訴訟類型とされており、本件予備的新訴のように、過去における消極的立法判断の違憲、違法であることの確認を求める訴訟は、右の観点からするならば不作為の違法確認訴訟と同様の性質のものと解せられるべきものである。

よって、本件予備的新訴を義務確認訴訟と解し、訴を不適法却下した原判決は、上告人の申し立てない事項について判決したものであり、民事訴訟法一八六条に照らし違法であり、その違背は判決に影響を及ぼすこと明らかである。

二、原判決は、前項の誤りを犯したが故に、訴訟要件として立法の一義的明確性を要求するという誤りを犯した。

すなわち、原判決は上告人らの原審における追加的予備的請求を無名抗告訴訟の一類型である義務確認訴訟に属するものとしたうえで、

「この種訴訟が許容されるには、(1)行政庁ないし立法府において一定の内容の作為をなすべきことが法律上二義をゆるさないほどに特定していて、行政庁ないし立法府の第一次的な判断権を重視する必要がない程度に明白であること、(2)事前の司法的審査によらなければ回復しがたい損害を生じ、事前の救済の必要が顕著であること、(3)他に適切な救済方法がないこと、の各要件が満たされることが必要である」とし、

控訴人らの追加的予備的請求は右の第一の要件が欠けている為に、不適法であると判示した。

前述したように上告人らが求めた追加的予備的請求の趣旨は、立法府が補償立法をしないことの違憲・違法の確認を求めたものである。そこで求められているのはあくまでも過去の消極的立法判断の違憲・違法の確認であって、積極的に一定の立法判断の作為義務を求めるものではなく、従って立法内容の一義的明確性を要件とされるものではない。

違憲確認判決の目的は、立法府による解決の方法が幾つか考えられ、それを裁判所で一義的に確定してしまうことが立法府の権限の侵害になる危険性があるときに、違憲性の確認のみを判決で行い、立法府の決定を待つという方法により、違憲状態の排除と立法府の裁量の尊重の要請とを現実的に満足させることにある(参照、野中俊彦「西ドイツにおける違憲判決の方法」、公法の理論上巻、一一七頁)。

この違憲確認判決が必要とされるのは、本件補償立法のように国民に対して積極的な給付や利益を与える法律が、現在日本国籍を有するグループについて利益を提供することのみを規定し、上告人らを含む台湾人元日本兵のグループについてはなんら触れていないような場合の救済についてである。換言すれば、利益提供自体は合憲であるが平等原則に違反しており、しかも平等原則違反が作為によってではなく不作為によって行われている場合である。このような場合の救済方法としては、利益提供の対象外とされている上告人らを含む台湾人元日本兵のグループを当該補償立法の対象に含まれるものとして判断する方法、あるいは利益提供を一般に排除してしまう方法さらには、利益提供の対象範囲を憲法の平等原則に適合するように限定しなおす方法がある。そして具体的な場合にいずれの方法を選択すべきかについて基本的には立法府の裁量に委ねることを前提にして立法府の決定の自由を尊重しつつ、裁判所としての違憲審査権を行使するギリギリの限界として存在する判決形式が違憲確認判決である。

これを整理すれば、立法者において違憲な部分的不作為が存在しこれを治癒するにおいて権力分立による内在的制約(立法者の形成自由)を考慮する必要がある場合の判決形式である。

違憲な部分的不作為の存在とは、本件でいえば、現日本国籍保持者にのみ補償を供与し、上告人ら台湾人元日本兵についてはなんら規定を置かずに補償を考慮していない状態である。違憲な部分的不作為が存在する場合には、作為部分の違憲確認と不作為部分の違憲確認との二通りの方法があるが、本件では、立法者が不作為部分を治癒することによってより良い解決が図れることが明白であるから立法者の部分的不作為の違憲確認を行うべきものである(参照、憲法裁判研究会、「西ドイツ連邦憲法裁判所における具体的規範統制と新しい判決形式」、比較法雑誌第一六巻四号七一頁)。

権力分立における内在的制約を考慮すべき場合とは、司法府が、立法府の判断をできるだけ尊重し、特に、国家財政と緊密に結びつきつつ諸般の事情を考慮して確定しなければならない立法事項について、司法府が自ら法律の改正的あるいは補正的機能を営むことを自制しつつ、違憲審査を有効に行使する必要がある場合である。この観点からは、不平等状態の是正の為の補償立法が必要な場合に、憲法一四条に適合する範囲内における受給範囲、支給金額、支給時期、支給方法などについての具体的な立法内容の確定が立法府の裁量の範囲内にあるとされる場合にも違憲確認判決の方法による司法府の違憲判断が必要とされることとなる。

してみれば、同判決が請求の要件として「控訴人らに対する補償立法の内容となるべき受給の範囲、支給金額、支給時期、支給方法」について「一義的に特定」していることを要求し、これが特定していないことをもって本訴請求を却下した原判決は、右の違憲確認判決の目的を誤解し、その結果違憲確認判決の訴訟要件を違法に解釈して、判決に影響を及ぼすべき法令違背をおかしたものである。

三、原判決は、補償立法の定立行為を国会の専権行為と解したのみで、国会の補償立法不作為の判断に対する司法審査を怠ったが、右は憲法一四条にも違反するものである。

原判決は、

「補償立法の定立行為は、いうまでもなく国の立法機関である国会の専権事項であり、国会がその権能と政治責任においてなすべき公法上の行為である。」としたうえ、

「仮に控訴人ら主張のように国会に憲法上控訴人らに対する何らかの補償立法をなすべき作為義務があるとしても、援護法が制定以来我が国の国民感情、社会・経済・財政事情等の変化に伴い数次の改正を経て受給者及び受給事由の範囲を拡大し、支給金額等も増額させていたことからも明らかなように、元日本軍人軍属にかかる援護又は恩給給付は我が国の国民感情、社会・経済・財政事情等を考慮して策定された立法に基づいて実施されてきたもので、控訴人ら日本国籍を有しない元日本軍人軍属にかかる補償立法についても、これらに加うる外交環境等をも考慮して、受給範囲、支給金額、支給時期、支払方法などを立法府である国会において決定されるべきことはいうまでもない。」

と判示した。

しかし、一般にいつ・いかなる立法をなすべきか、あるいはなさざるべきかの判断については、原則として国会の裁量事項に属するとしても、すすんで憲法の明文上一定の立法をなすべきことが要求され、あるいは憲法解釈上そのような結論が導かれる場合には、国会がかような立法をなすべき義務を負い、その立法の不作為が違憲とされることまで否定されるものでないことは憲法一三条、同九八条、同九九条の趣旨に照らし、明らかなことと言わなければならない。立法の背景にある複雑な政治的・社会的条件を考慮したうえでもなおかつ、立法の不作為が違憲とされる場合が存在するものであることはすでに確立された法理である。そして立法の不作為が違憲となるのは、国会が立法の必要性を十分認識し、立法をなそうと思えばできたにもかかわらす、一定の合理的期間を経過してもなお放置したという状況の存する場合には、その不作為が違憲なものになると学説・判例上解されている(現代法律学講座5憲法、佐藤幸治著二四六頁参照・ジュリスト六九三号頁以下、中村睦男解説・札幌高判昭和五三年五月二四日判時八八八号二六一頁)。

ところで、本件についていえば、前述のとおり、国会は補償立法をなすべき義務を負うことを十分に認識していたことは、日華平和条約が効力を有していた昭和四七年九月二七日までは、右日華条約は三条において「台湾及び澎湖諸島の当局および住民の請求権については、両国政府の特別取極の主題とする」と規定しており、右「特別取極の主題」には、台湾人日本軍人、軍属の戦死傷に対する補償請求権がふくまれているとされていた(昭和四三年四月二六日衆議院法務委員会における岡沢完治議員の質疑)ことからも明白であった。そして日本政府は、当時中華民国政府に申し入れて、新たに条約等の取極を結んで早期に解決すべき立場にあった。しかるに、その解決はなされず日華平和条約は失効したが、それは日本が日中共同声明により中国との国交を回復した結果にほかならないから、日本はその際日華条約が予定した「特別取極」による解決に代る措置を講じるべきであったのである。従って、日華平和条約失効によって補償に関する法制度が存在しなくなったのはまさに国の作為(日中共同声明による国交回復)により齎されたものである。さらに、その後いわゆる日中国交正常化後も、日本政府は国会において本件上告人らのケースについては、一般国際法上の問題として解決する問題ではなく、日本国内法の問題として解決されるべきものと考えていた(昭和五〇年二月二一日衆議院外務委員会における伊達政府委員答弁、同年二月二八日同院同委員会における宮沢外務大臣答弁、<書証番号略>参照)。したがって、当時でさえ国会が立法の必要性を認識していて、立法をなそうと思えばできた状況にあったものということができる。

然るに昭和五三年二月二七日横山利秋衆議院議員提出の質問趣意書で、日本政府として台湾人元日本兵に対する補償をする意思があるかを質したのに対し、当時の福田内閣総理大臣は、「応じ難い」旨政府として補償の意思がないことを答弁した(昭和五三年三月七日首相答弁書)。この首相答弁は内閣としての補償立法を講じる意思がない、との消極的立法判断を表明するとともに、議員内閣制の下において国会の多政党の意思をも代表して表明しているものであるから、国会の消極的立法判断も明示された、というべきである。さらに今日に至るまで立法府において、何等の補償立法の為の具体的措置が採られていないことは顕著な事実であり、いずれにしても立法の一定の合理的期間を超えて不作為のまま放置されていることは明白である。

この結果、上告人らの主張している平等原則侵害の事実が確実に発生している状況は明確なものとなった。

かような立法の不作為が、立法行為と同視し得る特殊の事情が存し、基本的人権が著しく侵害されているような場合、一般の法律と同様に、司法審査の対象となることは、学説・判例上認められているところである(前掲佐藤二四七頁・中村睦男判例解説・札幌高判)。

そして、本件のように法の欠缺によって平等権が侵害されている場合、援護法、恩給法を違憲・無効とし、その適用を排除したのでは、上告人らの権利救済ははかられないのであるから、主たる請求の給付請求が認容されないとした場合には少なくとも過去の消極的立法判断の違憲性の確認すなわち立法不作為の違憲判決を下すことにより、上告人の不利益を救済しなければならない(阿部照哉・前掲「平等原則の適用に関する若干の考察」)。

そこに憲法の侵害状態がある以上これに応じた救済手段が必然的に伴わなければならないのであり、この手段を解釈的に補充あるいは創造することこそ司法審査に不可欠な役割である。

よってこれを怠った原判決は憲法一四条に違反する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例